Running, jogging and walking [いのち]
Butterfly in green, Sera, Hiroshima今日は久々に運動をしようと思い、ランニングに出かけました。正午前の空は青々としており、ふわふわとした形の良い雲が浮かび、田んぼの緑は風に揺れ、ため池にはそれらの景色が映り込んでいました。地面を蹴るたびに、夏を感じさせる風景が前から後ろへと流れていき、所々でそれらをカメラで切りとりたいと思っていました。
ランニングから帰ると、ちょうど電力会社の方がメーターのチェックにいらっしゃっているところだったので、急いでドアを開け入ってもらいました。その方もランニングやジョギングをなさる方のようで、毎日朝3時から10キロ走り仕事に行かれると言われていました。もう30年になるという言葉には重みがあり、ジョギングは体力作りにはとても良いんだそうです。シューズさえあればできるから、とてもいいよね、と笑ってらっしゃいました。
「人間も動物だし、自然の中でいきてるからね。」
「何でもかんでもコンピューター、でも、時代の流れだからついていかなければならない。」
「ものがある時代。貧しさをしらないでしょう。欲しいものないでしょう。」
「夢は、おおきいほうがいいみたいね。」
ジョギングから始まった話でしたが、その方の言葉には他にも共感するところがたくさんありました。普段評論文や文献から拾う言葉よりももっと、近代から現代に至る歴史を確認したり、価値観が確かに変わってきていることを感じさせる、「生きた」言葉たちだったと思います。
最後になりますが、今朝、小宮山宏さんが書いたショートエッセイを読みました。日本の若者達にはもっともっと自信を持ってほしいといった内容だったのですが、その理由の中に高度成長期を急速に遂げた日本はすごいんだ、というものがありました。今日出会った電力会社の方は、池田勇人「所得倍増計画」の時代の人だといわれていました。つまり、小宮山さんが書かれていた高度成長期に歯車となって勤勉に働いてきた(であろう)人にあたります。普段は批判的に物事を見ることが私の役目なのですが、人としてその方と接したとき、日本を支えてきてくれたことに関する感謝の気持ちが口をついて出てきました。久々に感じた、不思議な感情でした。
2012-07-18 13:00
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